たて看板よる情報です
花こう岩に線刻された三体仏は、言い伝えによると奈良時代
橘諸呂の館建立に祭し鬼門よけとして刻まれたという。
しかし、実際は鎌倉〜室町代にかけて戦乱に明け暮れる
武士の支配体制に苦しみ、その日暮らしがやっとであった
農民たちがこころのよりどころとして刻んだものである。