平成13年、府道和束井手線改良工事に伴う 発掘調査で、柱の跡が発見されました それまでは、伝承でしかなかった井堤寺の壮大 な建物群の一部であるとの実証を得ました 私が小学生の時は、三本松と呼ばれており 中学生の時は、ランニングの目印でした。 |
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天平時代の左大臣で、万葉集の撰者でもあった 「橘諸兄」が母・三千代の一周忌にちなみ氏寺を 創建した七堂伽藍の寺跡で、西方浄土を形付け ようと、境内を始め借景となる「玉川堤」他一帯に 5月頃黄色い花が咲く黄金の花、「山吹」を植えた と云われています。 なお、「井堤寺」は、「円堤寺(えんていじ)」 とも称し、寺跡から礎石の他、銅銭、海獣葡萄鏡、 三色の釉薬をかけた「三彩」の垂木先瓦片等が出土 晩年には小野小町も住んでいました。 |
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発掘現場から井堤寺跡を見ています 直ぐ其処まで住宅が建ってます 周りは畑です 上の画の上側を道路が横切っています この道路の下に僧房が在ったと推定されます 写真右下側に瓦溜りがあります 以下 2005年12月18日 (発掘調査現地説明会での写真です) |
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写真左上:石敷き跡 写真右上:第2トレンチ根石跡全景 写真下左右:第2トレンチ 柱の土台となる根石跡が確認できます |
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写真左上:第1トレンチ瓦溜りの瓦 今回は、平瓦が多く出土した様です 前回は、丸瓦の方が多かった様です 写真右上:第1トレンチ全景 写真下:今回出土した瓦を展示してありました この井手寺は、奈良時代の左大臣『橘諸兄』が 創建にかかわったとされています この頃は、都からちょっと離れた別荘地で あったようで、昔の絵巻物(掛け軸)に 玉川の流れを上下とした物が残っています この画は保存状態があまりよくなく 後に模写がされたようです (ホームページトップ写真で使用しています) この画の中にも井手寺が画かれています |