玉津岡神社に残る古記録には保延3年(1137)
5月6日の年号が馬の後ろ足の横にあったが
摩滅してしまったことが記されています
うんちく
昔から馬は左から乗るとつまずかず、転ばないという
習性から、「左馬(ひだりうま)」を持つと、
長い人生をつまずくことなく歩むことができ、
“福を招く”・“幸運を呼ぶ”と云われています。

また馬を逆に読むと「まう」(舞踊)と読めることから
女芸の信仰の対象になったのではないか?思われます。

数百トンの花崗岩の下部、奧の方に、後ろ足を跳ね上げ
躍動する馬が実に写実的な表現で半肉彫されています。

平安時代後期に水神として造立され、江戸時代には、
女芸(裁縫、茶法、生け花、舞踊など)の上達の神として
信仰を集め、
遠く京都や大阪からも参拝する人も多かったと聞きます。

駒岩は、もともとこの場所にあったわけではありません。
もとは玉川の水源に祀られていた雨吹龍王祠(水分神社)
の傍らにありましたが、昭和28年8月の南山城水害時に
祠もろとも流出し玉川の谷底へ落ちてしまったのです。

水害後は見ることは不可能とされていましたが、
地元の方々の努力で土を掘り下げ、
下から見上げる形で見る事が出来るようになりました。

そして駒岩を中心に「左馬ふれあい公園」として
整備されました。